ドラキュラ公の最期

ドラキュラ公の最期

 1476年にドラキュラ軍は、大戦争の末ブカレストを占領しました。
ところが、トルコへ大打撃を与えたと判断したハンガリー軍は本国へ戻ってしまい、ドラキュラ公の下に残った兵力は僅か二百名を数えるに止まりました。
 この状況をトルコ軍は見過ごさず、ドラキュラ軍を攻めました。
ドラキュラ公は戦いの中、戦況を看るために丘へ登ったところ周りをトルコ軍に包囲されてしまいます。
一計を案じて、戦死した敵の兵士の衣服を剥がし、トルコの兵士に変装してその場は切り抜けたのですが、
自軍のところに戻った時、見方にドラキュラ公が見分けられず単なるトルコ兵の一人として、殺害されてしまいました。
 そののち、トルコ軍がドラキュラ公の遺体を見つけ、首を刎ねました。
その首は、コンスタンチノープルに持ってゆかれ城門に晒されたのでした。
 首の無い遺体の方は、復讐の意味から墓碑銘も書かれずに埋葬されました。
後にスナゴブ修道院の僧侶達が掘り返し、修道院に持ち帰り葬ったと伝えられています。


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